歴史上の風水老師Ⅲ


『邱延翰』(きゅうえんかん)650年~741年





中国の唐の時代の事です。



邱延翰(きゅうえんかん)という

読書人であり、文才があり、名前の知れた人がいました。



ある日、

邱延翰(きゅうえんかん)が、泰山(たいざん)に行ったときのこと。。。




彼は、道に迷ってしまい、途方に暮れていました。。




すると・・・


洞窟が現れたのです。




その洞窟は、真っ暗で何も見えず。。





そうこうしているうちに、


この世のものとは思えないほど良い香りの

芳香がしてきて



洞窟の中の石室が、光り出したのです。






・・・すると、そこに


仙人と思えるような、老人が現れました。






その仙人は、こう言いました。





「邱延翰(きゅうえんかん)よ。




汝、天命により、

風水の学を授けよう。。」





「この、海角経」(かいかくきょう)の書物をもって

おこたることなく、研究をするのだ。





そして、将来は世に出て


苦難にあえぐ民を救うことに使うのだ。。。」







邱延翰(きゅうえんかん)は、


その書物を受け取ると、


仙人に言われた通りに、

書物の内容を、人々のために、使いました。






それは、お墓の建設でした。



(昔々は、住んでいる人の家よりも、

お墓の風水をすることで、その先祖の運気があがり、その子孫が繁栄する。


という考えの方が、強かったのです。)









ある日。


唐の、天文官たちが、


山西地方から立ち上る、光の柱を見つけたのです。






その光は、


邱延翰(きゅうえんかん)が作った


お墓の風水を施した場所から

光が立ち登っていたのでした。





・・・この光の柱の意味するところは



(光の柱を発しているお墓の子孫のこと)

「唐の国を、争奪する人物が現れるかもしれない。。」



という、占いなのでした。






「・・・これは、国にとってよろしくないことだ!」

と、



唐の皇帝は、


この墓の風水を施した


邱延翰(きゅうえんかん)を、危険人物とし、



邱延翰(きゅうえんかん)

を、

お尋ね者にしてしまいました。






ことの重大さに気づいた邱延翰(きゅうえんかん)は



自ら、唐の皇帝に申し出て


一切の次第を正直に報告したところ。。。



唐の皇帝から

特別に許されたのでした!




邱延翰(きゅうえんかん)は、その恩に報いようと


「理気心印」3巻を、唐の皇帝に献上しました。





唐の皇帝は、「理気心印」3巻を宮廷内に、収め固く封印し、



邱延翰(きゅうえんかん)への監視の目は


ゆるめることが無かったのだそうです。

















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