歴史上の風水老師Ⅱ


『郭璞』(かくはく)276年~324年

「水の仙人となった」風水の老師



前回(Ⅰ)でご紹介いたしました「管輅」(かんろ)と並び

もう一人の風水の老師の元祖がいらっしゃいます。



それは、「郭璞」(かくはく)です。



「郭璞」(かくはく)は字(あざな)を景純(けいじゅん)と言いました。


生まれは現在の山西省(さんせいしょう)聞喜県の生まれでした。



「郭璞」(かくはく)は天文学・地理風水・易・予言など全てに渡り

奥義をきわめていていました。



「管輅」(かんろ)をしのぐ才能とも書かれている書物もあるほどです。





郭璞(かくはく)は普の国の建国のための、いっさいの制度を企画しました。


「帝王が国を興する時は、天の力と人の助けがなければならない」


という思想に基づき



王の姿を

天の星を見て占い、


八卦にて整備したと言われています。





元帝王の死後に、


元帝王の大将軍であった「王敦」(おうとん)が

たくさんの兵を率いて反逆をしてきました。




その「王敦」(おうとん)は、

郭璞(かくはく)を招いて参謀(さんぼう)としたのです。



反逆をくわだてた「王敦」(おうとん)ですが

元帝王をついだ明帝は、まだ15歳でした。





幼い王はある日占い師を呼んで。。。



「反逆を企てた「王敦」(おうとん)は、天下を取れるのでしょうか?」


と、占い師に聞くと。。




占い師は


「たとえ天子を招き寄せることは出来ても、

天下をとるところまで「王敦将軍」にはできないでしょう。」




・・・と答えたのでした。




これを聞いた幼い王は


ひとり馬に乗り、

安徽県(あんきけん)の姑熟城に逃げてしまったのでした。




と、・・・このことを

郭璞(かくはく)は知ってはいましたが。。。



あえて

「王敦」(おうとん)には報告をしませんでした。









「王敦」(おうとん)はある時。



「城の外の川を

鋤(すき)で耕しているという夢を見た」


ので、



この夢の意味を占ってほしい。

と、

郭璞(かくはく)に言いました。





すると郭璞(かくはく)は


「川を耕しても、鋤(す)き返すことはできません。」



「つまり、反逆などしても成功はしない」


という意味です。



と、伝えました。






すると「王敦」(おうとん)は怒って、



「では、貴殿の寿命は、いつで尽きるか分かるか?!」



と再び問い、




郭璞(かくはく)は


「はい。今日、尽きるでしょう」

と、答えました。





「王敦」(おうとん)は

「その通りだ。」

と言わんばかりに


郭璞(かくはく)に刑を命じたのです。






・・・やってきた処刑の役人に向かい、

郭璞(かくはく)はこう言ったのです。



「私が13歳の時に、上着を脱いであなたに与えたことがあります。」



「その意味は。。。私の命はあなたの手の中にある。」




・・・という意味です。




昔の恩を思い出した役人は

涙ながらに郭璞(かくはく)に刑をほどこしたのでした。





すると・・・長江の水が突如として氾濫し、

郭璞(かくはく)の遺体を押し流し、、、


城南の穴のある場所にまで持っていってしまったのです。





追いかけて行った者たちが見ると・・・?


既に葬儀の準備が成されていたのでした。





「これはどうしたことだろう?」



なんと、家人の説明では


既に郭璞(かくはく)が、

「今日、この場に自分の葬儀の準備をするように。。。」



と伝えていたのだそうです。




役人は、その場所がちょうど

30年以上前に、

郭璞(かくはく)に上着をめぐんでもらった場所だということを思い出し


再び悲しみに暮れたのでした。






・・・驚きがあったのは、このことだけでは終わりませんでした。



納棺後・・・


3日して妙な噂が広まりました。




郭璞(かくはく)が、自分自身の洋服や装身具を売りに来たり、


知人と親しく話しているのを


そこかしこで目撃されたのです。





しかも、皆の話からすると、

郭璞(かくはく)が現れた時刻は「同時刻」なのでした。







これを聞いた「王敦」(おうとん)は


「そんなバカなことがあるか。」



と郭璞(かくはく)の棺を開けてみると。。

中はもぬけの空だったのです。






このことからも、道教の教えでは、

郭璞(かくはく)は「水を司る仙人」になった。



と、信じられています。







郭璞(かくはく)はたくさんの風水の秘伝書を書いています。

風水の羅盤が出現する前の書物です。




郭璞(かくはく)の書いた風水の書物は

ある風水師によって



唐の玄宗皇帝(げんそうこうてい)に献上されました。





唐の皇帝は

「これは天下の珍書であり、みだりに人に見せてはいけない秘伝書だ。」


とされ、



錦の袋に封じて書庫の奥底に仕舞い込んだ。。


という伝説がありますが


今の尚、この郭璞(かくはく)の記した風水書物については謎めいております。






その郭璞(かくはく)も、郭公(かくこう)という人物から

風水の書物を与えられています。(全9巻)




その書物を、郭璞(かくはく)の弟子に、盗まれてしまい。。

弟子は読み終わらないうちに、火で燃やしてしまったのです。








『気は風に乗じて散じ、

水に区切られればすなわち止まる。


古人はこれを聚めて(あつめて)散ぜしめず、

これを行いて止めるあり。

ゆえにこれを風水という。』



この有名な言葉は郭璞(かくはく)が残したとされています。




確かに、風の通り道(龍の道)が、良い気を運び、

ますますパワーを着けて循環させ、


水(川や海)があると、エネルギーが止まりますよね。


川のこっちとあっちじゃ、エネルギーが変わる。。。という感じです。














~佑紀 空宙コラム~


こうして郭璞(かくはく)の記事を書いていますと。。。

郭璞(かくはく)の愛を感じます。



ハートと胃のあたりが熱いです。。

愛と、健全な自尊心。。。な感じです。



郭璞(かくはく)を通し、このように感じます。



昔の風水師、老師達は

美しい水と大地、自然を愛し、めでていました。


風で草が優しくそよぐ音。

蝶々を追って、遊ぶ子供の無邪気な声。。。

郭璞(かくはく)の目や耳には、このような景色と音が聞こえているようです。



「この美しき川の流れ、水の音が

気の流れを善くして、


人々の安心感、平和、繁栄、健康を運んでくるのだ」

と。



「私たちは(風水の老師)はこの美しき自然の中で

人々が平和に笑顔で


、大地の恵みと一体となり

暮らしている様子を見て、幸せを感じているのです。」




・・・と、



昔の中国の風景と、

水の音(川の流れる美しくも平和な音)と共に


見せてくれているように感じます。




・・・・中国の昔の時代には、風水の老師たちの波動が高すぎたのでしょうか。。。



いや、きっと。



郭璞(かくはく)や風水の老師たちに

多くの人々が救われたのだと思います。





今では、

穏やかにほほ笑み、お茶を飲み交わしている

風水の老師たちの姿が

目に浮かびます。











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