歴史上の風水老師Ⅰ


『管輅』(かんろ)209年~256年

「魏の曹操」からも「占術の力を貸してほしい!」と言われた『管輅』



風水師の「元祖」と思われる人物とは・・・?


三世紀に活躍した魏(ぎ)の「天才方術師」「管輅」(かんろ)でありましょう。



管輅(かんろ)は、あざなを「公明」といいました。



管輅(かんろ)の容姿はというと・・・

いかつくて、あまり容姿は良くなかった。。。と「魏書」の「管輅伝」には記されていました。



しかし、


管輅(かんろ)は、人々と、へわけへだてなく接し、


みんなとお酒や宴会を楽しみ、

民衆からは愛された存在なのでした。




管輅(かんろ)は幼い頃から、星を見るのが好きで

地面に、日月星辰を描いて人に説明し、


その才気あふれる言葉には、大人も太刀打ちできなかったといいます。




周囲の人々は、


「この子はきっと、非凡な才能を発揮する。。」


と、口ぐちに言っていました。





やがて管輅(かんろ)が大人になると、


「易・天文・風占い・吉凶判断・人相・風水術」

などに精通するようになりました。




成長した管輅(かんろ)の才能に頼ろうと、


魏の国の貴族や、国の官僚達が

次々と管輅(かんろ)の元へと訪れたのでした。




管輅(かんろ)はまさに、風水師だけでなく、


あらゆる局面を知り尽くした

魏の国のスーパースターのような存在でした。







管輅(かんろ)のエピソードとして


一つには、


「鳥の声を聞き、

世の中に起きているニュースを知ることができる」



です。




あるとき、

一匹のカササギが役所の屋根にとまって鳴いている声を聞き、


管輅(かんろ)は


「カササギは、東北のほうで、家庭内の争いを、隣の人のせいにしようとしている人がいる」
(昔なので、、、ヘビーな内容ですので省きます。。↑)



「おそらく、日が沈むまでに、この件を報告しに来る者があるでしょう。」


・・・と言っている。

と、

人に伝えました。




・・・その刻が来ると・・・東北の方から人々がやってきて

管輅(かんろ)がカササギを通した予言したとおり



「家庭内の争いを隣の人のせいにしようとしている人がいる」

と、報告に来る者が現れたのです。





「管輅別伝」によれば、

『彼は鳥の鳴き声を12音調に整理し、さらに八向の風と五つの音階

60干支によってこれを解読する』



と、記されています。



管輅(かんろ)の予言は百発百中です。



ある時、管輅(かんろ)が、

毌丘倹(かんきゅうけん)という人物の先祖のお墓を通りかかった時。。。




そのお墓を見た管輅(かんろ)は、


毌丘倹(かんきゅうけん)の滅びゆく運命を知り

木にもたれかかり、悲しげに歌で、その運命を語っていました。



「玄武は頭を隠し、

青龍は足が無く

白虎はしかばねをくわえ、

朱雀は悲しく泣いている。」




現代的に言うならば、、、


「玄武(北)・・・墓の北を守る山が無く、

青龍(東)・・・東の川は濁り

白虎(西)・・・西のほうにご先祖様がずれこみ、

朱雀(南)・・・南の湖は干上がっている」



とでも言いましょうか。。。




管輅(かんろ)の予言通り、、

その二年後に、

毌丘倹(かんきゅうけん)の一族は戦乱によって滅んだのだそうです。。






「三国志」で有名な魏の曹操が、管輅(かんろ)の能力に驚き、

仕官させようとしたことがもありました。



が、しかし。



「自分には官史になる相が、顔にも体にも表れていない。」


という理由で


断ったという伝承もあります。





やがて管輅(かんろ)は

自らの寿命も知りましたが、



その後、

一人も弟子を残すことはありませんでした。














風水の老師Ⅱへ


風水の老師Ⅲへ





風水オフィスTOPページへ


サロンLOTUS TOPページへ